2013年6月1日土曜日

心の健康ー社会死の選択

一番大切な物とは何か・・・、間違いなく健康です。

では、健康の中でも特に重要な要素は何でしょうか。心と体にわければ、どちらも重要である事に変わりはありませんが、優先されるのは心の健康です。ここでは、心の健康を維持するために所属していた社会から離脱し、社会的に死ぬことの可能性を考えてみます。ある意味では逃避かも知れませんが、積極的な開拓と考える事もできます。

人間の死には4段階あると言われます。

アルフォンス・デーケン教授による人間の死の4段階
  • 第一段階:心理的な死
  • 第二段階:社会的な死
  • 第三段階:文化的な死
  • 第四段階:肉体的な死

それぞれの定義を詳細に検討して行ったら色々と定義の問題は発生しそうです。ここでは、社会死のみ少し定義を追跡してみます。

「社会死」という言葉の定義は、所属する社会から「死」を宣告された状態です。病院で死を宣告されたり、社会から見捨てられた人も社会的死の状況ですから、昔の「姥捨」等は典型的な社会死になるのでしょうな。家族から見放された老人は、時間の問題で死に至るため、社会死していると見なすようです。社会から排除された人はどうでしょうか?群れ社会のなかで、群れから追い出された雄や、自ら離れ新天地を築こうとした雄のような立場です。人間社会でも失敗して「あいつは終わった」と言われても、社会的死かというと、おそらく生きていることになると思います。

実際に世の中には社会死から蘇った人は沢山います。第二次世界大戦では、間違って戦死を宣告された人、横井さんのように戦争が終わっても「戦闘を継続し、敵から何十年も隠れ続けた人」もおられます。それらの例では、肉体的に行きていても、その人が所属していた社会からは死を宣告されています。この事例は社会的死はその所属する社会から死を宣告されたに過ぎず、人間の死を意味していないということです。

それでは、自ら社会に背を背け、社会の一員である事を拒んだらそれは社会的死になるのでしょうか?戸籍上生きている扱いであれば社会死はしていない。でも、どこにも属さないことは社会からは死を宣告されたようなものです。登校拒否児童、社会に不適応な若者、出社拒否社員、引きこもり、それらは準社会死かもしれません。でも、それが悪いわけではないと思います。

学校や会社に嫌気がさす、結果としてそれらの社会に参加することを良しとしなくなる。だからといって、その人が病んでいるかというとそうではない。むしろ、病んでいる部分を持っているのは学校であったり、会社であったり、社会であったりします。それらの嫌な面を見てしまえば、真っ当な感覚では付き合いきれなくなることもあるでしょう。社会死とは言わないまでも、社会を否定している健全な人々はいます。

過去を完全に切り離して行きている人も、ある意味で社会死しているのかも知れません。少なくともこれまで属していた社会からは、死んだも同然と見なされるでしょう。でも、その社会の中で「心が病んで死んでしまった」と思われた時、積極的に社会死することで、属する社会を変えることができます。いつまでも、既存の社会にしがみついて、心を病んでしまうより良いのではないでしょうか。新たな社会で心を生き返らせ、新社会人として生き返ることも可能なはずです。

ある人はこれまで属していた社会から離れることで、より活性化しています。不登校が悪いというのは一つの考え方に過ぎません。与えられている学校教育が全てではありません。最初から弟子入りして職業教育を受けさせる道もあります。既存の社会から離脱しても、心理的、文化的、肉体的には全く死んでいないですし、生きる道は沢山あります。

社会が健康を損なうこともあります。その社会の中で生きる事をよしとしない場合、別の道を選ぶことも選択肢としてあると思います。心を生かすために。

2013年5月15日水曜日

久しぶりの更新

健康生活の基本は食生活

この2年間、実は単身赴任状況でした。その結果は、間食が増え、食事もだらだらと、時間のつぶすために食べていたような状況もあり約8キロ体重が増えてしまいました。最高に太ったときには、72キロを超えました。

単身赴任状況というのは非常に怖い。その理由、
・一人で過ごす空白の時間が長い。
・食事が自分だけのため、シンプルですが量が増える。
どうしても、何かの不足や空白を満たすため、食べる事に頼ってしまう傾向があります。

その結果、運動を続けていたにも関わらず、食べた分だけ体重が増えるということになりました。

そして、この4月からまた通常の生活に戻りました。

現在、68キロですが、一ヶ月で72キロから62キロまでの4キロまで減量。この間は全く運動をせず、食生活の変更だけで減りました。一日3回、健康的な食事をする。何らの不満を、食べる事で埋めることもなくなったことが大きいと思います。

お昼も、良く言う社食ですが、やはり量が多い、油が多い。はじめは、警戒してご飯の量を減らしていたのですが、徐々に標準に戻り、その量に慣れてしまいます。結果は体重の増加です。

減量の秘訣は、簡単で、「外食をしない」、「間食をしない」の2点につきます。

やはり、外食はカロリーが高いのです。お店は満足感を味わって頂く為に、低カロリーよりも、量も多めに、カロリーの高い料理を出します。量的に不満に思われるより、残して頂いた方が良いのです。安全のためには料理の量も身体の大きな男性を基準にせざる負えません。食べきったらカロリーオーバーです。

また、65キロ以下に戻さなくてはなりません。

2011年7月7日木曜日

喪失感と戦い、日本病から脱却する方法

今、多くの日本人が喪失感で希望を失いかけている。

国というものが、国民を守るという幻想が見事に打ち砕かれた国民は、今、とても深い喪失感に襲われている。これを、日本病からの脱却過程と名づけたい。

誰もが、朝鮮半島の北側の国を独裁国家と思い、かの国の人民をかわいそうだと思っていたが、今や我々の国日本がかの国よりも酷い国家であることに、気づき、大きなショックを受けている。

本来国家とは、一握りの権力に左右される存在だが、そういう面をオブラートにくるむことで、国家というものを維持してきた。権力者は常に民の生活を思い、国民が豊かに暮らせる国をつくることを全面に押しだして、国家を経営してきたのです。そうやって、国を発展させ、権力を維持してきたものでした。しかし、今やこの国の権力者は本音をオブラートにくるむこともできないほどに疲弊してしまったようです。

今や権力がなりふり構わず、権力者の意向だけを振りまわし、国民のことは虫けらのようにしか考えていないことを、誰の目にも明らかになるほど正直に表現してしまったのです。ですから、この国で生活をしている人々のショックはただ事ではない。

国民は精神の健康を保つために、国家の権力者を倒すか、国家と決別することを考えざるおえないように状況に追い込まれているようです。しかし、それさえもできない非力な国民は、ただひたすら大きな喪失感に陥っているのです。

生きる土地を失ったのは、福島県人だけではないのです。日本人が皆、国を失ったと感じているのです。一億の人間が、難民となって、今後どうやって生きていけばよいのかと模索しているのです。中には、心の健康を維持するために、生粋のコスモポリタンになる覚悟をする者も多い様です。

中国では国を信用していないのは当たり前、国を信用していることが信じられないこととのようですから、彼らから見れば、やっと気づいたのかという程度のことでしょう。ある意味で、これで、やっと普通のこの地上で生活するいっぱしの人間の仲間入りをして、国際社会の常識が通用する人間になったのかもしれません。

だからといって、「これを肯定してよいことではない」と考えるのが伝統的な日本人の価値感でした。それが、ここで言うところの日本人病です。今喪失感という病気になったのではなく、これまでが病気で、やっと病気であることに気づいて、正常な状態に戻ろうとしているのです。

しかし、そういう社会になるということは、これまでの価値感を大きく変えなければなりません。信用という言葉は禁句であり、これまでの感覚からすれば、「おぞましい国」が誕生するのでしょう。

とても精神の健康に良くない話でしょうが、これからはそのような中で、健康な生活をする方法を考えなくてはいけないのです。国際標準の市民として、自立をしなければいけないのです。とりもなおさず、そのためには理不尽な中でも、自分の生活と家族の生活を守り、健康な生活を維持していかなくてはならないのです。

我々は、病気から速く回復するしかないのです。喪失感、絶望感に長く留まってはいけません。前向きにこれまでの日本という国を捨て、新たな生活を構築しなければなりません。目前にあるのは、これまで当たりまえであった、綺麗な空気や安全な水、食の安全性や職の確保まで、これまで当たり前だと思っていたものが、すべて当たり前ではない状況になったと言うことです。

ぼけぼけしては居られないのです。


2011年6月14日火曜日

とてつもない悲しみと孤独感

イタリアで原発の国民投票が行われた。

出口調査では95%が再開反対だとのニューズが流れています。

まっとうな判断です。しごく全うな判断をしたことに、おめでとうと言いたい。
過去の遺産を放射性元素で汚染させてはならないのです。あなた方は観光資源を維持すれば生きていけることをご存知なのですね。僅かなエネルギーのために永久に富を生み続ける歴史的資産を犠牲にしてはならないことをご存知でした。何が大切なのかを正しく判断したのです。

日本のように、国を失わないように、早く判断すべきです。危険な放射性廃棄物以外に原発は何も生み出さないことを。

あの日以来、私は国を失いました。日本という国の国民であること、誇り、帰属意識、祖国というものがあったこと、父母の生まれた国、友人の生活する国。国というものが幻想であったことを強く意識せざる終えなくなりました。

「国敗れて山河あり」という詩、いまや「国失われて山河なし」となりました。

美しい風景も、山河も、海も、全てが穢れたものとなってしまいました。芝の上に横になることも、爽やかな空気を思い切り吸い込むことも、子供を公園で遊ばせることもできなくなりました。全てが失われたのです。見えないけれどもそこにある、放射性元素によって汚染されてしまったのです。

「直ちに健康に影響はない」、そうでしょう。焼け爛れるほどのエネルギーを受けたわかではありません。しかし、その原子一個の崩壊が、我々の遺伝子を破壊するエネルギーを持ている、極めてエネルギー密度の高い弾丸で常に体の中を射撃されているようになったのです。

ほんの一部の遺伝子が壊れても、我々には影響は無いでしょう。一部が癌細胞化して、分裂を続け、我々の感知できうるサイズに成長するまで、何年もかかるのです。

しかし、ある重要な遺伝子は、生殖に寄与しています。その遺伝子が損傷を受けた場合には、それから成長した子供は、致命的な傷を受けることになるのです。体の一部が正常に成長しなかったり、・・・なんと恐ろしいことでしょう。癌になる確率が5%増える。

遺伝に与える影響はどれくらい大きいのでしょうか。遺伝子の5%が損傷を受けたとしたら、人間の子供として成長するのでしょうか?

「食べて福島を支えよう」・・・間違っています。福島の放射線濃度は確実に高いのです。特に土の中にはある程度の濃度で放射性物質が含まれているのです。それを食べて、生殖活動をすることの危険性は諮り知ることができないと言うべきです。福島だけでなく、茨城も明らかに高い。東京も以前に比べて高いのです。

子供達が、学生が、若い男女が、その様な環境で生活しています。それをよしとする国は国ではありません。

国とは国民の健康を守り、民族を育て、反映させていくための存在だった。

もはや、失うものは何もない程に、愛国心やら、日本という言葉が、空しい架空の存在になったのです。最初からなかったのかも知れません、あると勘違いしていたことを知ったことも、同じく自分の思いを失ったことなのです。

あの日以来、とてつもない悲しみと孤独感に支配されています。

イタリアの人々は、失う前に気がついたことを祝福したいと思います。

でも、隣国が使っていては、イタリアの決断は意味を持たなくなります。

たとえ隣国であっても、影響を受ける可能性のある国には、ど同様の対応を求めなければならないのです。もし使うなら、保障することを契約に盛り込むことを求めるべきです。

我々のように国を失ってから、何を言っても手遅れです。隣国にも強く言いましょう。

悲しさの極みに耐え、天地に寄する命を、つくづくと想う。「伊藤左千夫」
どんなに辛くても、天地に寄せる命を想うことで、生きることができた。今や、我々は寄するべき天地を失ってしまいました。

2011年6月7日火曜日

新たな健康生活(食の原点に帰ることに)

311の大震災が余りにインパクトが大きくて一時は整理がつかなくなりました。でも、逆転の発想で生活を見直す大きなチャンスにできました。

・食生活を根本から変えたこと
・楽しみ方が大きく変わった
・お金の使い方が変わった
・もともと意味の無い新聞が益々無意味な存在になった

食べる楽しみがなくなった。いや、そうではなく、食事や飲み物によりこだわるようになりました。何しろ、食料品が何も信じられなくなったのですから。政府の基準が大幅に緩和され、チェック機構も働かなくなりました。対策は自らチェックして安心できる食材を手に入れ、加工して食する。一言で言うと、これまで人に頼っていた食品加工を全て自ら行うようになった。

外食の楽しみの代わりに、自分で作る楽しさ、添加物も何も入っていない食品の美味しさを知った。
昼食も弁当、食品は買わないので、お金の使い方も変わった。新聞やテレビの情報とは反対のことが真実に近い。新聞を取らなくなって10年、テレビを見なくなってそれ以上、でもネット上の新聞社の記事やテレビニュースのクリップをみると、あまりにもおぞましく、悲しくなるばかりで、見たくなくなる。

つまり、
・健康のためにはテレビや新聞は見たり読んだりしない。
・外食や売られている食品は食べない。
・水道水や売っているジュース類も飲まない。
・米と大豆中心の食生活。

食品は、素性のはっきりした原料から全て手作り、それ以外のものは食さない。

  • 豆乳:水と大豆だけから
  • ヨーグルト:手作り豆乳のみ
  • 納豆:水と大豆から
  • パン:小麦粉(輸入と北海道)、米(米から米分)、水、豆乳、酵母のみで作るパン
  • ご飯:水と玄米から精米した米
  • ジャム(夏みかんマーマレード)
  • ケーキ、クッキー等:おから、大豆、豆乳、米分
  • 煮豆:大豆、小豆、黒豆、ソラマメ等々から

原料(年単位でまとめて手配:30キロX数袋を布団保存袋で脱気し脱酸素状態で保存)

  • 水:飲むものは全て逆浸透水
  • 米:九州産(2010年産)
  • 大豆:2010年産の北海道大豆
  • 砂糖、塩:沖縄産
  • 小麦:2010年北海道産
  • こんぶ:
  • 鰹節:2010年産
  • 乾ししいたけ:
  • 夏みかん:庭で採れたもの
  • 上記の購入品は全て大手からではなく、地元の業者から購入
  • 肉と野菜:福岡のお店から地物を月に2回送ってもらう


食品加工用に購入した機器

  • 製粉機(台湾製の立派なやつ)
  • パン焼き器(ティファールの何でもフランスパン風になるパン焼き器)
  • 納豆つくり機
  • 豆乳マシン
検査装置
  • シンチレーションカウンター(ガンマ線)
  • ガイガーカウンター(アルファー線、ベータ線、ガンマ線)
これまで、飲んでいた販売されている豆乳も、添加物がいっぱい入っていることが分かった。

食を基本に、自己で自分の身を守る生活を見直す機会になりました。
原発騒ぎのおかげで、本来あるべき人間の生活とはどういうものなのか、新ためて理解することができた。さらに、多くのものが比較的簡単に自分で作ることができ、とても美味しく、コストもかからないことが分かりました。

食の原点は手作りです。そして究極のエコ生活でした。

2011年3月27日日曜日

想像を絶する事態に遭遇して

健康を考えてきが、想像を絶する状況が発生してしまった。

福島原発事故、現代の怪物が大暴れをしています。子供の頃、宇宙から怪獣が現れて、地球の建物を破壊しまくっている映像を見ていましたが、今や福島原発がそのような状況です。

怪獣は口から放射性元素を吐き出して暴れまわっています。ウルトラマンは実際には存在しないので、怪獣は何時までも暴れまくりそうです。その影響はもっともっと広がる可能性を見せています。

福島の怪獣が吐き出した放射性元素は地球そのものを汚染できる能力と量を持っています。

もはや日本という国だけの問題ではない状況と思います。

人類の愚かさを嘆いて、涙することしかできないのでしょうか。

2011年2月13日日曜日

久しぶりに風邪をひいた

本当に久しぶりに風邪をひきました。

以前に風邪をひいたのが何時だったか覚えていませんが、2010年には風邪をひいていませんので、2009年です。ひどい風邪ではないですが、喉が少しひりひりするところから始まり、現在は喉の痛みは消えましたが、少し頭痛があり、時々咳が出ます。症状は軽いのですが、体がだるいというのが久しぶりでベッドに張り付いています。

ベッドに寝ていても、パソコンのキーボードを打っていることに問題があり、その不自然な姿勢のために頭痛になっている疑いもあります。便利さと引き換えに失ったベッドでの安静です。

既に季節の変わり目で、春の兆しが日に日に強まっている中、寒さと乾燥は冬のままで、色々なところで風邪が流行っています。人が集まるところには風邪のウィルスが蔓延しています。

まあ、この3日間休みはのんびりと休みました。

そういえば、今週は風邪もあり運動なしです。