イタリアで原発の国民投票が行われた。
出口調査では95%が再開反対だとのニューズが流れています。
まっとうな判断です。しごく全うな判断をしたことに、おめでとうと言いたい。
過去の遺産を放射性元素で汚染させてはならないのです。あなた方は観光資源を維持すれば生きていけることをご存知なのですね。僅かなエネルギーのために永久に富を生み続ける歴史的資産を犠牲にしてはならないことをご存知でした。何が大切なのかを正しく判断したのです。
日本のように、国を失わないように、早く判断すべきです。危険な放射性廃棄物以外に原発は何も生み出さないことを。
あの日以来、私は国を失いました。日本という国の国民であること、誇り、帰属意識、祖国というものがあったこと、父母の生まれた国、友人の生活する国。国というものが幻想であったことを強く意識せざる終えなくなりました。
「国敗れて山河あり」という詩、いまや「国失われて山河なし」となりました。
美しい風景も、山河も、海も、全てが穢れたものとなってしまいました。芝の上に横になることも、爽やかな空気を思い切り吸い込むことも、子供を公園で遊ばせることもできなくなりました。全てが失われたのです。見えないけれどもそこにある、放射性元素によって汚染されてしまったのです。
「直ちに健康に影響はない」、そうでしょう。焼け爛れるほどのエネルギーを受けたわかではありません。しかし、その原子一個の崩壊が、我々の遺伝子を破壊するエネルギーを持ている、極めてエネルギー密度の高い弾丸で常に体の中を射撃されているようになったのです。
ほんの一部の遺伝子が壊れても、我々には影響は無いでしょう。一部が癌細胞化して、分裂を続け、我々の感知できうるサイズに成長するまで、何年もかかるのです。
しかし、ある重要な遺伝子は、生殖に寄与しています。その遺伝子が損傷を受けた場合には、それから成長した子供は、致命的な傷を受けることになるのです。体の一部が正常に成長しなかったり、・・・なんと恐ろしいことでしょう。癌になる確率が5%増える。
遺伝に与える影響はどれくらい大きいのでしょうか。遺伝子の5%が損傷を受けたとしたら、人間の子供として成長するのでしょうか?
「食べて福島を支えよう」・・・間違っています。福島の放射線濃度は確実に高いのです。特に土の中にはある程度の濃度で放射性物質が含まれているのです。それを食べて、生殖活動をすることの危険性は諮り知ることができないと言うべきです。福島だけでなく、茨城も明らかに高い。東京も以前に比べて高いのです。
子供達が、学生が、若い男女が、その様な環境で生活しています。それをよしとする国は国ではありません。
国とは国民の健康を守り、民族を育て、反映させていくための存在だった。
もはや、失うものは何もない程に、愛国心やら、日本という言葉が、空しい架空の存在になったのです。最初からなかったのかも知れません、あると勘違いしていたことを知ったことも、同じく自分の思いを失ったことなのです。
あの日以来、とてつもない悲しみと孤独感に支配されています。
イタリアの人々は、失う前に気がついたことを祝福したいと思います。
でも、隣国が使っていては、イタリアの決断は意味を持たなくなります。
たとえ隣国であっても、影響を受ける可能性のある国には、ど同様の対応を求めなければならないのです。もし使うなら、保障することを契約に盛り込むことを求めるべきです。
我々のように国を失ってから、何を言っても手遅れです。隣国にも強く言いましょう。
悲しさの極みに耐え、天地に寄する命を、つくづくと想う。「伊藤左千夫」
どんなに辛くても、天地に寄せる命を想うことで、生きることができた。今や、我々は寄するべき天地を失ってしまいました。
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