人によって多少の違いがあるが40歳を過ぎた頃から老眼は始まっている。
久しぶりに何人かの古い友人と会ったが、久しぶりの挨拶代わりに老眼の話がでることに。私も弱い近視だったものが、めがねが合わなくなったので、めがねなしで生活にも不自由がないと感じていたら、気がついたら近視ではなく、老眼に。
初めて老眼に気がついたのは、妻がアクセサリーの小さなネックレスの留め金を止めてほしいと言われたときでした。留め金の穴部分が良く見えない。目を近づければ近づけるほど見えなくなる。離れるとくっきり見えるが、やはり小さくて細部が見えない。これが老眼というやつではないだろうか?
友人曰く。若い頃は上司がめがねをづらして上目づかいに、人の顔を見るのがいかにもいやらしく見えたが、今になって、単に老眼鏡をずらして見ていただけだと気づいたとのこと。今は自分がやっている。
まあ、いつまでも若いと思っていても、いつの間にか老化というものは進行している。老化が悪いということではない、それに従って、生活を変えていけばよいだろう。確かに若い頃のように無茶はできないが、無茶をしない生き方もある。
人生には段階があり、成長著しい子供の時代、成長が止まる段階(これも老化といえば老化だろう)、そして使わない能力をそぎ落として効率化してゆく成熟段階、さらに機能が徐々に衰えて行く段階。人間が不死であれば、新しく生まれてくる子供たちに未来はない。世代が変わりることで、新しい状況に対応できるように世代交代が行われるのは、極めて合理的な生物の営みに根ざしているのである。
生物は永遠に生きられないからこそ、その営みを大切にすることができるのだろう。生物としての人間と、人間としての個人の存在、もともと個人はDNAの乗り物でしかないという考え方もある。生きて反映していくのはDNAであり、生物の体はそのキャリアでしかないというのだ。参考:『利己的な遺伝子』(リチャードドーキンス著) ここは非常に深い部分で簡単にいい加減なことは書けない部分でもある。私のように、子孫を残さないことで、キャリアであることを実質的に拒んでいる者もいる。
しかし、生物として生を受けた以上、その生を大切にしたいということは誰でも感じることであろう。そして、老化ということの最初の大きな気づきが老眼でもある。
老眼以外にも、体の効率が良くなり若い頃と同じ生活をしていても体重が重くなった(太った)り、頭髪に変化が現れたりするが、その発現する年齢には大きなばらつきがある。その点、老眼は比較的年齢的にばらつきが少ないようで、また、ほとんどの人が経験する様である。
老眼対策といえば、その第一がメガネの利用であろう。もちろん老眼鏡は買いました。まあ、虫眼鏡ですね。ルーペもあちこちに準備しています。老眼対応コンタクトレンズというのも眼鏡屋さんでお試しをしてみましたが、平均的に遠くも近くもぼけるようになるため、私には耐えられない結果でした。
第2が、レーシック等外科手術がかなり一般的に用いられるようになっている。老眼の変化がとまれば候補となる方法でしょうが、私の場合はそれほど生活に支障をきたしているわけではないため、実施はしていません。
一方で、目のトレーニング(ストレッチ)という方法もある。これには努力が必要だが、訓練により筋肉の利用を活発化し、老化に対抗しようという方法である。これの基本は、昔から近視の回復方法等でも実施されていた、近くを見て、遠くを見て、また近くを見るということを繰り返し、目の筋肉運動を行うことで、弱った筋肉を使えるようにするものです。昔教わったのは、セブンスターというタバコのパッケージを例に、「パッケージの星模様にできる限り近くでピントを合わせ、その後遠くを見て、再度、タバコの星模様にピントを合わせる」おいうことを繰り返すというのもでした。さらに、ぐるぐると視点を右、上、左、下と回すような動きを繰り返す等も筋肉のトレーニングになります。
お金に余裕のある方は視力トレーニングのための機械も売り出されています。お金の使い方として、支払った対価は取り戻すという気概のある方には有効な方法でしょう。
私は、目のトレーニングを試してみて、その成果を確認してみたいと思っています。


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