2010年10月25日月曜日

脳をメタボなアスリートにしない

発病は年齢に関係ありませんが、恐ろしい脳の衰えと思考力の低下。

とにかく便利になって何でも簡単になってしまいました。インターネットを使うと、考えなくてもそれなりの答えが見つかることが多く、あまり頭を使わなくなってしまったような気がします。私自身の反省として調べることで回答を求める傾向が顕著になっています。これは思考を代償にした表面的な便利さに犯されてしまっている兆候でしょう。

とにかく、疑問に思ったら、考える前にネットで検索することが多い。いくつかの答えが既に提示されており、その中から自分なりに判断して、自分の意見を作り上げるというのが「考える」というプロセスに近いような状況があります。時には、検索のヒット件数を比較して、こちらのほうが圧倒的に多いからこちらが正しい、あるいは可能性が高いなどと考えてしまう始末です。自分はそこまで酷くないと思っていますが、本に書いてあったから、別の考え方との比較もせず、詳細や理由の検討もせず、真実と信じ込んでしまうという人々もいます。さらには、新聞に書かれていたからという人もいます。

インターネットのおかげで我々の情報収集能力は格段にアップしました。しかし、雑音もおかしな考え方も、格段に多くなっているのです。便利ですが、一面で、我々の思考力を著しく阻害していないでしょうか。私にも思い当たることがあるからここに書いているのです。

しかし、本当に考える能力があれば、調べれば調べるほど疑問が増えて行くはずです。なぜなら、世の中はごまかしに満ちており、それらの説明は真剣に考える人のことは考えていないからです。それでも、疑問は増えていかないのが我々の大多数です。

現代は、「とにかく答えを出し、先に実行してみて、間違っていれば修正すればよい」というプロセスを良く聞きます。学校では、テストの成績が優先、時間を無駄にしないよう、少し考えでだめなら先にすすみなさい、あるいは諦めなさいという教えが蔓延っています。これらの考え方も一理あります。

しかし、そのような世界だけで生きていれば、我々の思考力というものはどんどん衰退してゆくように思われます。トレーニング不足の運動選手みたいなもので、我々の頭脳はメタボなアスリートと化しています。

脳を活性化するという足し算ゲーム等はありますが、それは条件反射のトレーニングであり、鍛えているのは、脊髄の神経です。そんなものに頼ってはいけません、本質は別の所にあります。本当の思考力の育成にはその程度では不充分で、本来は、回答が無いかもしれない問題を、諦めずに、一日中考える、三日考える、一週間考える、一ヶ月考える、一年でも考え続けるということが必要なのです。そして、それが本当に頭を鍛えることになるのです。

情報収集で満足せず、常に問題意識を持ち、問題を整理・分析し、それに対する回答を根底から構築する習慣をつけ、何事も疑い、何故かと問い、その疑問の追及を諦めない姿勢。さらに、その思考プロセスをも再確認することが今の我々に必要とされていることではないでしょうか。

文章を書くことが思考の整理であり、これまでもいい加減な文書を書いてきました。この文章は自己の思考の質を高めるための自分自身への自戒として改めてここに記しました。