2010年11月12日金曜日

テレビのない生活

広告や宣伝のイメージに躍らせれることなく、我々の生活というものを根本から考え直そうではありありませんかというお話です。

テレビが我が家から消えて20年以上になります。全くないのではなく、見ようと思えば古くはMacのパソコンでみることが出来ました。その後も、パソコンにテレビチュナーがついている機種もあり見ようと思えば見られる状態がありました。今や、ネットでテレビも見られるが、見るべきものはないというのが現状です。一時はニュースには価値があると思っていましたが、いまや新聞やテレビよりもネットの情報のほうが信用できるようになってしまいました。

ダイエットや生活に関しての話題に戻します。
我々の生活も注意しないと、テレビの宣伝等によって色々な洗脳にされされます。テレビを見ていると、酒やビールは飲むのがあたりまえ、カップラーメンが食べたくなる宣伝、マクドナルドの高カロリー食品、飲まなければいけないような宣伝が氾濫しています。本来必要ないものを、あたかも誰もがやっているかのように、誰もが同じ行動をして食べるのが普通のように、頭に刷り込まれるのです。ドラマでは美味しい食事、ワインやお酒を誰もが飲み、食べ、競って美味しくて安い店を紹介する。食べることの是非に関しての前提条件はなしです。

美しい女優さんが美味しいものをいかにも美味しそうに食べ、言葉足らずのコメントをして宣伝が行われます。どう見ても食べすぎの量の料理が出されています。しかし、その女優さんは、普段そんな食事をしていないから、美しい女優でいられるという事実は隠されています。

現実の生活、我々の生活で、お祝い事のときにたまにお酒や料理を楽しむということは良いでしょう。人間が昔から楽しんできたものですので否定しません。しかし、人類の長い歴史で人間はそんなに豊かではありませんでした。お酒や美味しい料理は本当におめでたいときに味わうことが出来た種類のものだったのではないでしょうか。それがありがたいこと、おめでたいことをより一層際立てるのに役立ったのではないでしょうか。

その意味で、毎日の食事にはお酒や贅沢な料理は必要ないのです。友達と会っても酒で付き合いをする必要もないでしょう。軽い食事で楽しいお話をすれば良いのです。お酒と食事もテレビ、雑誌、その他の媒体が作り出した、消費を美化する世界です。テレビ等(新聞・雑誌)は今や大衆への洗脳にあふれた媒体以外の何者でもありません。市場を作る側、売る側にとって便利なツールなのです。そして、今や毎日の食事がお祝いの食事です。

そのような作られたパターンに基づいて我々の生活が行われているのです。そのようなイメージによって市場を作る操作によって、我々は生活しているのではなく、生活させられているのです。それによって我々は太ったり、健康を害しているのではないでしょうか。そして、健康を害した人、太ってしまった人に、健康食品や痩せ薬等を取り揃え、販売するというストーリーなのです。

いづれにしても、テレビを見ているという受動的な状態では色々な宣伝(洗脳)によって、健全で健康な生活は送れなくなるでしょう。できるなら、テレビや新聞の受動的情報源から、主体的情報源であるネットへと情報源の転換をしましょう。それさえ必要がないなら、そういうものから一切、情報を得ない生活というのもお勧めです。

世の中の色々なことは、自分の価値観を元に、自分の頭で考えれば良いのです。広告や宣伝のイメージに躍らせれることなく、我々の生活というものを根本から考え直そうではありありませんか。

あたかも誰もがそうするべきであるようなイメージの世界を自分もやるべきだと思い込まされないように。